村山聖をご存知だろうか。
いわゆる「羽生世代」と呼ばれた棋士達の一人で、一時は「東の羽生、西の村山」と並び称され期待された人である。
では今は?
彼はもうこの世の人ではない。
5歳の頃からネフローゼという重い腎臓病を患っていた彼は、
1998年8月8日、A級在籍のまま29歳で逝去した。
本書はそんな彼をずっと間近で見てきた大崎善生氏の手によるノンフィクションだ。
第1章 折れない翼
第2章 心の風景
第3章 彼の見ている海
第4章 夢の隣に
第5章 魂の棋譜
人は死ぬ
そんな当たり前のことを本書は思い出させてくれる。
以下は、20歳を迎えた村山聖が師匠・森信雄のいる雀荘にひょっこりやってきた時の会話だ。
P197 第3章 彼の見ている海
「どうしたんや、村山君」森が話しかけると村山は何も言わずにニコニコしている。
「麻雀やりたいんなら替わってやろか?」
「はあ、いえ結構です。」
「なら何や?飯でもくいにいこか?」
「いえ。もう食べてきました」そう言うと、村山は楽しそうに麻雀を眺めている。
「何かいいことあったんか?」と森が聞くと、
「はあ」と村山は照れくさそうに首をすくめた。
「いいことあったんなら言うてみい」
「あの、森先生」
「何や」
「僕・・僕」と言って村山は少女のように顔を赤くした。
「僕、今日20歳になったんです」
「ああ、そうか、それで?」
「いえ、ただそれだけです」
「これからはこそこそせんでも酒も麻雀もできるなあ」
「20歳になれて嬉しいんです。20歳になれるなんて思っていませんでしたから」そう言うと、村山は雀荘から出ていってしまった。
村山聖の素朴な人柄、そしてこのP197に至るまでに描かれている闘病生活。
心から「良かったね」「おめでとう」と言いたくなるワンシーンだ。
一方で我が身を振り返る。
当たり前のように次の誕生日が来るものと思っている。
怖いな、と思った。
本書が思わせてくれた。
全力で遊ぶ
上述したが村山聖は重い腎臓病を患っている。
しかし健康を害することを恐れて静かにしていたりはしない。
酒を呑む。(しかも酒癖は相当に悪そうだ(笑))
麻雀をする。
彼は妙に人懐っこい男だったようだ。
そして天才と呼ばれる人間はそうなのだろうか。一風変わっている。
そんな彼の人生を追いかけるのは楽しい。
本書は決して悲しい物語ではない。
最後に
私は別段将棋フリークというわけではありません。
駒の動かし方は知っていますが、指せば飛車と角が大暴れという典型的なヘボ将棋です。
将棋自体も年末に面白法人KAYACさんのツイッター将棋で久しぶりに遊びましたが、それまでは何年も指していないという、、将棋に無関心な一般的な男といえるでしょう。
本書ではわずかですが村山聖の指した棋譜がでてきます。
そんな時はページを捲る手を止めて、一生懸命、理解できないなりにその棋譜を追いかけてしまいました。
それほど村山聖という棋士に興味を持たされてしまったということでしょう。
本書は良書です。
このエントリでその感動を伝えきれたかどうか自信はありませんが
ぜひ手にとっていただけると幸いです。