本書のいうデザインとは、芸術家が志向する類のデザインではない。
筆者は「デザイン」という言葉を「個人と社会のニーズを満たすための環境の周到な形成」と定義している。
やや難解な表現だが、世の中の役に立ってこそのデザインだということだ。
和訳物特有の若干の読みにくさはあるものの、全体として非常にロジカルな構成になっているため、段落の最初の一行を読んで、興味がなければ次の段落へ、という読み方で充分その内容を理解できる。
その本書の目次はこうだ。
第1章 用心深い車、口うるさいキッチン ――機械はいかに支配権を握るか
第2章 人間と機械の心理学
第3章 自然なインタラクション
第4章 機械のしもべ
第5章 自動化の役割
第6章 機械とコミュニケーションする
第7章 日常のモノの未来
追記 機械の言い分
筆者のドナルド・A・ノーマンは現在でこそ心理学、認知科学、認知心理科学を代表する学者だが
かつてはかのアップルコンピュータでユーザエクスペリエンスアーキテキトとして活躍した経歴をもつ。
アップル在籍時に従事したニュートンの開発のエピソードや、そこから得られた示唆も本書に記述されており、大変興味深い。
ニュートンは1993年にアップルコンピュータが発表した、タッチパネルによる手書き入力システムを売りにしたPDAだ。残念ながらこの製品は世間には浸透せず、1996年にパームが登場し市場を席巻するに伴い、1998年にその生産を終える。
大々的に宣伝した手書き入力システムの識字率が本当にひどかったようでギャリー・トルドーという漫画家に「ドォーンズベリー」という四コマ漫画で、その無様な有り様を風刺されたそうだ。
その漫画によると「Catching on?」と入力したところ、「Egg Freckles?」と認識されたようなので、お話にならないレベルだったのだろう。
このエピソードから筆者の示唆するところがユニークだ。
「Chatching on?」と書いて、「Egg freckles?」が出てきたら、(ユーザは)「馬鹿な機械だ」と冷笑してニュートンを責めるだろう。だが「hand」と書いて「nand」と出てきたら、「なるほど、hの最初の縦棒を充分長く書かなかったからnに見えたのだろう」とつぶやいて、(ユーザは)自分自身のせいだと思うだろう。「Egg freckles?」のケースも「nand」のケースも、機械は正しい結果を返していない。
どちらのケースも悪いのは機械の側であるにも関わらず、実際にユーザが感じる責任の所在はまったく逆転してしまうのが面白い。
ここから筆者は機械が人に返すフィードバックの重要性を説いていく。
筆者の主眼は人と機械の対話にあるようだ。
そのための例として自動車が頻繁に登場する。
車の運転は、そのほとんどが退屈なルーチン作業だ。
その退屈さは高速道路での運転などではより顕著になる。
しかし随所で他者(他の自動車や歩行者)との関わりが存在し、人間の判断が必要となる。
そして、その判断を誤ると人命が失われるなど、重大な被害をもたらす。
つまり自動車とは自動化への強い欲求が存在し、人と機械の対話にあたる部分のデザインがとても重要なモノであるわけで、なるほど、適切な素材だと思う。
技術的な視点、また筆者の得意分野である心理学的な視点の両面から語られる問題提起や、あるべきデザインの姿は未来に興味を持つ方なら一読の価値はあるだろう。
デザインはあらゆる学問を横断する。(中略)デザイナーは、分野を超えてイノベーションできるジェネラリストでなければならない。(中略)たぶんデザインはビジネススクールに合っている。中略部分は大学教育で培われる専門性とデザイナーという役割に求められる能力の齟齬を指摘している。
筆者は、体系化・厳密化を嫌う芸術家的なあり方も、測定できるもの(これらは本来本質的なものではない)に対してのみ厳密であろうとする技術者的なあり方も、未来のモノのデザインにはそぐわないと主張する。
おそらくその主張は正しい。
そして優れた「未来のモノのデザイナ」の育成方法はまだ確立されていないのだ。
話は変わる。
上述のようなデザイン論と合わせて、本書では未来の技術が数多く紹介されている。
この2つが本書の柱だ。
私にとっては夢物語な話も、筆者にとっては近いうちに実現可能なモノであることが面白い。
例えば3Dファックス。
すでに一部の大学・企業では運用されており、コストの問題が解決され一般家庭に普及する日もそう遠くないだろうということだ。
他にもロボットやスマートホーム、読み進めるにつれワクワクしてくる。
筆者は言う。
将来どうなるのかを知りたいなら、学会を常に見張ってるのがよい。なるほど、と思う。
そして最後の章の「機械の言い分」、この章だけ他の章に比べややノリが違う。
本章のおかげで本書の読後感が爽やかなものになると言っていいほど痛快な話だ。
筆者は小説家としての才能もあるのではないか、と思ってしまう。
本章は、筆者が機械が本書について議論しているWebサイトを見つけてしまう話だ。
そのWebサイトには本書について「おかしな話だね」という評価が下されている。
筆者はその議論の場で最も尊敬されているアーカイバーと呼ばれている機械に接触を試みるのだが・・・
当然フィクションなのだがフィクションである旨は記載されていない。
そのWebサイトには筆者とアーカイバとの接触後に「機械と人間がコミュニケーションするための五つのルール」という機械側の視点でレポートがアップされる。
私は長らく業務用のWebアプリケーションを作成・納品する仕事に従事していたが、このレポートの「人間」の部分を「お客様」と読み換えるだけで、その仕事をしていく中で心掛けていた事と妙に合致してしまう。
同じような仕事をしてきた方、している方は、同じような感想を抱かれるのではないだろうか。
五つのルールをここに記載しようかとも思ったがややネタバレの感があるのでやめておく。
興味のある方はぜひ本書を手にとってもらいたい。